マオです。
僕は3週間で動画100本アップロードを目指して、
とにかく撮りまくるぞ!
と宣言して、実際youtubeに100本アップロードしたのですが、
途中ネタが尽きそうになって、
このまんまじゃヤバい、宣言を守れない(;´∀`)
状態に。
それでネタ探ししている中で、
国語の教科書に出てきた本を読んでいたのです。
「スイミー」とか「スーホの白い馬」とか。
でも個人的に、一番読み直したかったのが
中1の教科書で出てきた「少年の日の思い出」でした。
中身がなかなかダークで、
さらに登場するエーミールは未だに忘れられないですね。
中でも印象深いのは、エーミールのセリフ
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」
でした。
「少年の日の思い出」の授業を受けていたころは、
僕も友達に使っていましたし、
クラス全体でもめっちゃ流行していました。
今でもネットで「国語 教科書 名言」で検索すると、
必ずと言っていいほど、出てきますし。
エーミール人気すぎΣ(oдΟ;)!
でも読み直してみると、当時はエーミールはただの嫌味なヤツ、
くらいにしか思っていませんでしたが、だいぶ印象が変わりました。
おそらくそれは、高校生・就活時代・新卒の頃と
「人付き合いはストレス」の気持ちが拭えなかった僕が、
解雇寸前になったのをきっかけに、
コミュニケーションの仕方に向き合って勉強したら、
今では「新しい人と出逢うのが楽しくてたまらない」となったから、と感じています。
今回はエーミールが大事にしていた蝶の標本を壊されずに済んだ方法や、
そもそもエーミールはただ嫌味なヤツだったのか?
を書いていきたいと思います。
目次
「少年の日の思い出」はどんな話なのか?
まずはどのような話なのか、簡潔に書いていきます↓
*****************************
主人公は「僕」。
「僕」8,9歳の頃から友達の影響で、蝶集めに熱中していた。
そのおよそ1年後、「僕」は貴重な蝶・コムラサキを捕まえて標本にした。
立派な標本箱が無いので普段は標本を見せるのをためらっていた「僕」も、
この時ばかりは見せびらかしたくなり、
「そうだ、エーミールに見せよう」と決めた。
エーミールは中庭の向こうに住んでいる先生の息子で、
「非の打ち所がない」模範少年。
標本作りの技術も高かった。
そんなエーミールを「僕」は称賛しつつも、気味悪く妬ましく思っていた。
エーミールにコムラサキの標本を見せたところ、珍しさは評価したものの
羽の広げ方に難があって足も欠損している、と酷評。
「もう見せてやるものか!」
「僕」は標本を二度とエーミールに見せまい、と決意した。
2年後。
エーミールが貴重なクジャクヤママユを羽化させた、という噂を聞いた「僕」は、
熱烈にその標本が欲しくなった。
エーミールが標本を見せるのを待ちきれない「僕」は、
夜密かに留守のエーミールの家へ忍び込む。
クジャクヤママユの標本を見つけた「僕」は、箱から取り出して満足。
しかしメイドの足音に我に帰り、標本をポケットの中へ突っ込んだ。
その後自宅に帰る途中で、罪の意識に苛まれた「僕」は、
引き返してクジャクヤママユの標本を元に戻そうとするも、時すでに遅し。
ポケットの中で潰れてしまっていた。
逃げ帰った「僕」は母に促されて、エーミールに謝罪に行った。
必死で修復を試みたけれど、徒労に終わったエーミールを目の当たりにしながら、
「僕」はありのままを告白する。
対してエーミールは怒らずに、ただ皮肉った。
「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな」と。
「僕」は弁償としておもちゃや標本を全部渡すと提案するが、
エーミールはそれも冷淡に拒絶した。
「結構だよ。僕は、君の集めたやつはもう知ってる。
そのうえ、今日また、君が蝶をどんなに取りあつかっているか、
ということを見ることができたさ。」と。
収集家のプライドを打ち砕かれた僕は、
軽蔑の眼差しに耐えながら帰宅した。
一度起きたことは償いのできないことを悟った僕は、
収集との決別をこめて、持っていた標本を全て指ですりつぶした。。。
*****************************
・・・という話です。
うん、今書いてみても、なかなか重い話ですね(~_~;)
小学校の教科書だとこんなヘビーな話は無かったはずなので、
なおさら印象が強く残ったのかもしれません。
どうすれば蝶の標本を壊されずに済んだのだろうか?
中1の頃の僕は、というかクラスの大半は「僕」に感情移入して
エーミールはなんか悪いやつだな!
と思っていました。
しかし改めて読み直すと、
エーミールはエーミールで、かなりひどい目に遭っているなと感じます。
なにせ
- 「僕」に一方的に「気味悪く妬ましい」と思われていた
- 標本の改善点を伝えたら「僕」に逆恨みされた
- 自分で羽化させた貴重なクジャクヤママユの標本を、「僕」の自分勝手な理由で壊された
のだから。
そりゃエーミールにしたって、とても貴重でしかもキレイに仕上げた
クジャクヤママユの標本を、壊されたくはなかったはず。
ちゃんと準備ができたら学校の皆に見せて、
皆で綺麗さや珍しさを楽しもうとしていたのかもしれない。
そう考えると、「僕」の非が大きいとはいえ、
クジャクヤママユの標本を壊されずに済む未来は無かったのかな?
と思わずにいられないんですよね。
そう考えると、ターニングポイントは「僕」がエーミールに、
珍しいコムラサキを見せに来た時だった、と感じます。
あの時「僕」は「見てみて!」という感じで、やってきていた。
だからあの時エーミールは、
「コムラサキ、きれいだね」と
「僕」が嬉しがっている気持ちだけ汲んでくれれば、
「僕」はそれで満足したのでは?
と思うのです。
そりゃ誰だって笑顔で「見てみて!」という感じで来ながら、
欠点を指摘されたいとは思わないですから。
確かに標本を作るのが上手いエーミールからしたら、
格好の良くない標本に見えたのかもしれない。
だから指摘したくなった、というのも分かる気がします。
でも指摘は、相手が聞く心のある状態でないと、伝わらない。
聞く気が無ければ
何だよ、コケにして(# ゚Д゚)!
と腹立てて終わりですから。
もしコムラサキの標本を見せに来て「羨ましがってほしい」気持ちを、
エーミールが満たしていたのなら、
「僕」はエーミールに対する「気味悪く妬ましい」思いが無くなったかもしれない。
そうすれば「僕」がクジャクヤママユの標本を堂々と
エーミールから見せられても問題なかったし、
クジャクヤママユを壊される悲劇は無かったのかもしれない。
・・・なんて思いました。
エーミールは嫌味な奴だったのか?
ただ、こうやって考えれば考えるほど、
エーミールは嫌味なヤツでもなければ、
「非の打ち所のない」模範少年でもない、
と感じるようになりました。
確かに学業やスポーツや蝶の収集については、「非の打ち所がないヤツ」だったかもしれない。
でも共通の趣味を持つ「僕」とどうやって仲良くなるか、
の方法を知らなくて困っていたのではないか?
だから「ウソをつかずに正直に言おう」とした結果、
標本の改善点を指摘して、「もっとよくできる」と「僕」の背中を押したのではないか?
「君が蝶をどんなに取りあつかっているか」と言ったのは、
「そんな簡単に、自分の標本を差し出せる程度の思い入れしかないのか」、
と共通の趣味を持つ仲間として残念がっていたのではないか?
とも感じられる。
それは僕自身が子供の頃、人見知りで思いを伝えられず、
悔しがっていたから、なおエーミールにそんな共感をせずにおれないのです。
どうにも「僕」とエーミールは、気持ちがすれ違っていなければ、
互いに良き友人同士になった気がしてなりません。
こんなすれ違いを無くせるよう、
言葉の選び方を学んで、相手に届く言葉を交わしていけたら、
友達関係ももっとストレスが無くなるよなあ、としみじみ思います。
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